ブロック

去年7月までの私はtwitterのことをとても大事に考えていたので、現実の友人・知人がそのtwitterでの振る舞いでどんなに私を傷付けたとしても(そして、この人はとっくに私のような者が傷付くかどうかなどよりも大事な何かができてしまってこうしているのだろうなあと思ってさらに傷付いたとしても)、現実でのその人への敬意が上回っているときにはブロックでtwitter上のつながりを切ろうとはしませんでした。しかし、今の私の中でtwitterはたかがtwitterになっていて(いや、twitterでない名を名乗っているらしいけれども)、現実とそんなふうにリンクさせてややこしくするものでもなくなっており、ブロックしたところで私がその人を尊敬していることには変わらないのだから今後は単純に尊敬したままブロックするんでしょう、理屈の上ではそういう基準になるんでしょう……と考えていたところにまさにそういうことがあり、ブロックしました。しょうがないことです。

ブロックしてみてわかったんですけど、新しい理屈に感情がまだ慣れてない。まあ、そのうち慣れると思います。次があったとしても、そのときにはたぶんもう、こういうことを書かなくなっていることでしょう。