久しぶりにゼムクリップ人質事件のことを考えていました

なんかこう、私とまったく異なる見解を目にしてしまい、そういう読者もいたというかそういう売り方だったとは言えるけど、それはそれとして作風はそうじゃなかったでしょ犀川先生も西之園さんもかなりのロマンチストだったじゃないですかと思ったわけです。

ところで、ゼムクリップを人質にされて西之園さんが「ひどい……」とか言うシーンがあったじゃないですか。あの、こう、俺たちは何を読まされてるんだ感がめちゃくちゃ良かったと思うんですよ。変なシーンとしか思われていない気がして今まであまり言ってなかったんですけど、本当に好きです。

えー、私の好きなS&Mシリーズのシーン、人には「『詩的私的ジャック』のハートについての対話が好き」ということが多かったんですよ。変なシーンと思われていないし、私にとって大事シーンだし。ハートだ、と言い切りたいと思って生きてきた時間が長い。でも、ゼムクリップ人質とかマラカス犀川先生とかも好きなので、なんか変なのが多いかもしれない。

難しい部分

「読者への演習問題とする」ってフレーズは有名だけど実際にはあまり見ないよね、という話題を見掛けました。まあそうですね。

今から紹介するのは「読者への演習問題とする」とは述べられていなくて、その意味ではレギュレーションにそぐわないというかフレーズをあまり見ないよね論の傍証みたいなものなんですけど、えっそれを演習問題にするんですか、という点で挙げたい例です。『ホモトピー論 幻想の世界から位相幾何学へ』*1 のp.76です。

「難しい部分」って自分で言ってるじゃないですかー。

*1:A.T. Fomenko, D.B. Fuchs, V.L. Gutenmacher 著・三村護 訳。Fomenkoが政治的にどんな主張をしているのかには留意してください。